北海道佐呂間町を事務所と札幌市のアトリエを拠点に、北海道を代表する建築家・五十嵐淳のサイト。建築紹介、住宅設計・新築・マイホームに関するご相談などにも応える。

jun igarashi architects
illustration by Midori Kambara
© 2002-2009 Jun Igarashi Architects

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門脇耕三氏による「repository」と「矩形の森」に対するテキスト。


3月末、東京より門脇耕三氏が来道し、
最新作である「repository」と、
デビュー作である「矩形の森」をご案内し、
2つの作品に対するテキストを頂きました。


「現象、物質、形式の断片的同居」


五十嵐淳さんの新作「repository」を見せていただきました。

旭川の中心部よりやや外れて、建物もまばらな、
住宅地とも平原ともつかないような場所に建つ住宅です。

訪れて、まずその建ち方に興味を惹かれました。
建物の平面の両端は、半円状に丸められているので、
外観には一切コーナーが表れず、
したがって、その姿は、抽象的でありながら、
風景の中に溶け込んでいってしまうかのようです。

モノシリックな直方体を、風景の中にぽんと置くのとは、正反対の考え方。
しかしその外壁は、下見板張りとされているので、
近づくうちに、生々しい物質感を放つ下見板だけが、
突如目の前に浮かび上がります。

内部に入ると、まず、普通の住宅の三層分はあろうかというほどの天井高をもつ、
巨大な広間に圧倒されます。
その広間の壁の一面には、人間の身長よりやや高い位置に、
これまた巨大な開口が切られていて、
ちょうどバロック建築のアンフィラードのように、
同じ大きさの開口をもつ、三つの空間が連なります。

一つは今いる空間。
次に、幅2mほどで細長く、しかし今いる空間と同じだけの天井高をもつ水廻り。
さらに、水廻りをはさんで、今いる空間とほぼ同じプロポーションをもつ、
広い空間が続きます。

今いる空間と、その先にあるもう一つの広間は、
ちょうど鏡のこちら側の実像と、あちら側の虚像のような関係。
巨大な開口にはテーパーが付けられていて、壁の厚さをほとんど感じさせず、
だからその先に見える空間はあたかも映像のようで、実在感を欠いています。

また、細長い水廻りの天井は、全面にトップライトが切られているので、
そこだけは白飛びした写真のように明るく、広間越しに見ると、
実在感を欠いているどころか、その存在さえ意識されません。
あたかも、実像と虚像を仕切る鏡のガラス板のように。

つまりこの3つの空間の連なりは、物理的な存在として知覚されるというよりも、
鏡を介した実像と虚像のように、現象的なものとして知覚されます。

しかし、この3つの空間の連なりは、現象的であると同時に、
細長い空間を挟んで相対する巨大な双子の空間という、
強烈な形式性をもっていることも見逃せません。

鏡を説明しようとするとき、その物理的な機構を説明するよりも、
実像と虚像の関係を伝えた方が、おそらく鏡を正確に伝えることができるでしょう。

つまり鏡の本質は、その物理的実体よりも、虚像のなかに、実像が反転して映る、
という現象にこそあるはずですが、しかし実像と虚像が左右対称に現象する様は、
同時に強烈な形式性を現出させます。
「repository」は、まさにそんな建築でした。

「repository」は、その物理的実体の全容を感じさせる視点を欠いています。
それはひとまとまりのモノの固まりというよりも、
風景の中に溶け込むような現象のようなものとして、
あるいは下見板だけが突然目に飛び込んでくる即物性の強いものとして、
または物理的実体を伴わない強烈な形式として、
その異なる側面が、視点を変えるごとに分裂的に現れ、知覚されます。

そしてこの「repository」の特徴は、
五十嵐さんの最初期の作品である「矩形の森」から連続するものであるように感じます。

「矩形の森」は、1間四方のグリッド柱が、3間×11間のワンルーム空間を形成し、
その四方に、光を柔らかく透過するポリカーボネート波板の外壁が張られた作品です。

ワンルーム全体を包む柔らかい光によって、まるで水中にいるかのような、
少し粘り気のある空気を感じさせる空間は、まさに光だけが現象する世界ですが、
しかしそこを動き回るうちに、突如現れるブレースによって行く手を阻まれ、
あるいはグリッド柱に身体の運動はやや不自由に規定され、
その状態が意識されてはじめて、白く塗り込められたブレースとグリッド柱は、
生々しい物質性を放ちます。

また、一見均質に広がっていくかのようなグリッド状のワンルーム空間では、
机や椅子、ベッドといった生活をサポートするモノたちが、
次第に壁際に集まっていき、短手3スパンのうち、中央1スパンのみ、
結果的にモノの密度が薄まります。

そのようにしてできあがった、中央の空虚な空間と、その両脇のモノに溢れる空間は、
あたかも教会建築における身廊と側廊のようで、
均質空間とはまったく別種の、形式性を感じさせます。

現象と、物質性と、形式性が、一つの建築のなかに同居し、
しかもそれらが、断片的に知覚される。つまり五十嵐さんの建築は、
その構成だけを見れば、ある種の単純さ、あるいは簡潔さを備えているようでありながら、
それが体験される段階に至っては、多義的な複雑さをまといます。

そしてこの複雑さは、「異なるイメージが断片的に知覚される」が故の複雑さであり、
したがって五十嵐さんの建築は、「体験」という時間的連なりのなかでの、
運動性を備えているといってよいでしょう。

建築という動かないメディアにあって、認識の運動性を獲得しようとすること。

これが困難な試みであることは容易に想像がつきますが、
しかし五十嵐さんの「repository」と「矩形の森」は、
現代の建築が成し遂げた、一つの突達点であるように思えます。



門脇耕三 (明治大学 理工学部 建築学科 専任講師)

http://www.kkad.org:80/




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