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jun igarashi architects
illustration by Midori Kambara
© 2002-2009 Jun Igarashi Architects

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表層と表情

先日、静岡で3つの建築を見る機会があった。

1つは藤森照信さんの秋野不矩美術館。
1つは西沢大良さんの駿府教会。
1つは倉俣史朗さんのバー。

同時にこの3つを見れたのは、
色々と解釈が広がり楽しい体験となった。

秋野不矩美術館

藤森さんの建築を初体験。
当然、何度も写真で見ていた。
しかし意外と表層からの先入観で見ていた事に気が付く。
この先入観と言うのは、建築を学んだ人間の先入観であり、
一般の人には表層の先入観が全てである。

僕は自分で設計をしている訳で、
色々な建築を見ている訳で、
その経験より余計な事を表層を見ただけで想像してしまうクセがある。

例えば秋野不矩美術館の屋根は石で葺かれている。
実際はと言うと石で覆われているというのが正しい表現である。
石の下には本物の防水処置が施されている。
その上に表層を化粧するかのように石が被さっているのだ。

藤森さん曰く、石だけだと雨が漏るのでこのように仕上げたと言う。
全くその通りだと思った。
更に建築は表情が大切なので表層である素材には気を配ると言う。

表情に表層の素材が大切なのは理解できる。
ただ僕だと石を使う事と同時、雨仕舞や構造や小口の処理を考えてしまう。
そうすると多分、屋根に石を使う必然性と、表情を作ると言う目的を天秤に掛け、
僕は必然性を選ぶ訳だが、
藤森さんは、表層による表情を大切にする。

例えば、軒先の小口から下地の防水が見え、
更に石を支える軽量鉄骨の骨組みが見えても、
表層に石を張ることを選択するわけだ。

藤森さんの建築には、このような割り切りと言うか判断が随所に見られる。
木材もふんだんに使用されているが、
決して木造建築ではない。
美術館なので燃えてはいけないわけだから、
この建物の場合、鉄筋コンクリート造が選択されている。

しかし随所にあたかも屋根を支えているかの様な大きな木の柱や梁が表れたり、
あたかもデッキテラスを支えているかの様な梁が突き出ていたりするのだ。
良く覗き込むと、化粧として取り付けられているのだ。

ハリボテと言うと言葉は悪いが、
まさにその通りなのだ。

ただ世の中に多く出回っているハリボテとは違い、
全くと言って良いほど嫌な感覚や違和感が湧かないのである。

これは多分、古い建築から新しい建築まで、
膨大に実物を見て観察し解釈している、
藤森さんだから成せる技なのである。

恐らく古い歴史的建造物の多くは、
表層と深層が深く関係したタイプの建築よりも、
むしろ大衆に理解され易い、
表層による表情の建築が広く受け入れられ、
愛されているという事実がある。

この事実に基づく経験を、
自身の建築で巧みに使い表現している。

対談でも色々と興味深い話や、
どのように色々な建築を観て、
それらをどのように解釈しているのかなど、
聞くことが出来、
そのことにより実際に現れる藤森建築をより理解出来た。


駿府教会

藤森さんの建物を見た後に、
西沢さんの教会を見た。

表層に木がふんだんに使われている。
礼拝堂の外壁は木を裂いた荒々しい仕上げに、
薄っすらと塗装が施されていることで銀色に輝く。
併設する住居部分はフラットな仕上げの木が貼られている。

木の貼り方はと言うと、
表面には一切、釘やビスが見えず、
実付きの小口加工された板材が使用されている。

この材料の選択や処理方法を解説した時点で、
藤森さんの建築とは対極にある事に気が付く。

気が付いたのだけれど、
具体的にどう対極なのか説明出来ない。

僕自身の設計方法は多分、西沢さんに近い。
なのでこの教会には共感でき、かなり感動した。

木を使うという行為は、
表層の操作により表情を作り出す行為に他ならない。
しかしこの教会はそれだけの為の表層ではないことは確かである。
だけど上手く説明出来ない。

内部にも木が使用されている。
構造も木造。
天井が高く、天窓からのみ光が降り注ぐ。
写真で見るより、板幅の操作が効果的であることが分かる。

何より写真に写らない空気や湿度や音の状態が、
完全にこの空間を特化していることにも気が付く。

僕は最近、天国のような状態の空間が究極だと考えるようになった。
それはどのような状態かと言うと、
光、温度、湿度、気流、香りなど、
感覚が受け取る情報において全てが完璧な状態を指す。

この状態を不快に感じる人間は居ない筈である。
ただ1点、この空間の状態には問題がある。
それは何かと言うと、「あきる」ということだ。

死後の世界で仮に天国で暮らすことを想像すると、
ほぼ永遠に完璧な状態の空間に身を置くとなると、
それはやはり飽きそうである。

しかし現実の世界の、あるプライベートな空間が、
天国のような完璧な状態の空間ならどうだろうか。
恐らく飽きることは無い。
何故ならこの世には不快な空間や場所も含めて、
様々な状態が存在しているから。

この教会の空間には、
そんな僕が夢見ている建築の断片的な可能性を
垣間見ることが出来た貴重な体験となった。

かなりお勧めなので、
是非見に行って欲しいです。

コンブレ

最後に倉俣さんのバーコンブレで飲みました。
僕が行った時は完全に貸切で、
このお店の存続が心配になったので、
静岡へ行かれる方は是非ご利用して下さい。
http://blogs.yahoo.co.jp/oujyagaouji/47491129.html

倉俣さんの空間を体験するのは初めてである。
色々と調べたが、赤坂にある梅ノ木と言う寿司屋と
このバーだけが現存しているようである。
他には現在クラマタデザインの事務所になっている元自邸くらいか。
他に知っている人が居たら是非教えて欲しいです。

空間は、印象的な曲線のツインポリカで出来た天井があり、
床と壁にはキレイにプレーナーがかけられた
OSBにクリアーの塗装塗り。
OSBという木質を隠蔽するかのように、
キレイに削りピカピカに塗装する。
什器類はアクリルやアルミなど倉俣さんらしい素材。

店舗空間というのはそもそも表層のみの表現である。
なので表層の表情を彩る素材や色は最重要となる。
そこに深層を追求しても仕方がない。

しかしこの空間には魂のようなモノが漂っているように感じる。
僕が熱烈な倉俣ファンだからと言うのもあるかも知れないが、
この究極のハリボテ空間に何かを感じる。

この空間の表層の表情の表現は、
恐らく一般人にはうけない。
むしろチープにすら見える可能性がある。

人間の表情の感じ方には、
あるルールがある。
それは経験の中での情報や
物理的な経験による記憶の蓄積。
その範囲内にあるものに、
ある種のノスタルジィを感じ、
受け入れ愛するわけである。

人類はそもそもノスタルジィにより、
歴史や文化を形成してきたように思う。
歴史の深い場所を信仰し、
時間の深いモノを愛する。

倉俣さんの使った素材は、
過去のどのノスタルジィにも属さない。
だから一般人の多くにはチープに映る。
イコール、違和感に繋がり愛されないのである。
よって消滅していく。

しかし人類の中には、
未来の経験したことの無いモノに、
ノスタルジィを感じ、
夢を見たり愛する人達が居る。
何故にこのような感覚が芽生えるのか。

多分、人類の習性であるノスタルジィと共に
未来にも少なからずノスタルジィを連れて行く。
または持ち込もうとする。
ノスタルジィの蓄積こそが人類だから。
よって未来を夢見ることが可能になる。

過去と未来のノスタルジィが同居しているような藤森さんの建築。
過去と未来のノスタルジィのどれにも属さないノスタルジィを内包する西沢さんの建築。
未来のノスタルジィのみを夢見た倉俣さんの空間。
静岡でみた3つの空間は、
表層の表情について色々と考えさせられる良い機会となりました。

この数日後、横浜のレクチャーの懇親会の時、
東大の橋本憲一郎さんに、
天国のような空間の状態と、
ホテルオークラの客室の状態に、
どのような差があるのかというような質問を投げかけられた。
その時、僕は唸ってしまったのだが、
完全に違う空間の状態であることは確かなのである。

藤森さんが、視覚的に天国の状態の建築を作っているのが妹島さんだと言っていた。
しかし熱環境も含めた状態は天国ではないから、
完璧な状態ではない。
それでは、ホテルオークラの客室の空間状態と、
妹島さんが作る視覚的な状態が合体すれば、
僕が考える天国の状態の空間になるのかと言うとそうではないと思う。

色々な建築を見て、
色々な人と話し、
その体験や言葉がキッカケとなり、
自身のまだ霧の中にあるイメージを
少しだけ近くに見ることが出来た瞬間であった。

長くなってしまったが、
先週はそんな1週間であった。

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