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jun igarashi architects
illustration by Midori Kambara
© 2002-2009 Jun Igarashi Architects

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大石くんのオルドスレポート③

全体模型画像

大石くん、3日目のレポートです。
彼が感じた、
このプロジェクトの世界の建築家の作品に対する違和感。
それは人間として至極シンプルなモノだと思います。
こう言う感覚を何時までも忘れずに居たいですね。。

Day 3 (26th June)

さて本日は、昨日の夕飯の時、藤本さん、KAZさん、関本さんと
「行こうかっ!」といことになった草原ツアーに行く日です。
実は相当楽しみです。(すいません五十嵐さん。)
どこまでも見渡す限りの草原、
っていうのは一体どんな感覚になるものなのか。・・・楽しみです。

違和感 ‐欧米と日本の違い(浅はかですが)‐

草原ツアーまでの時間は、皆様のプレゼンを聞いて過ごしました。
そこで湧いてきた違和感は、ちょっと気に入らない違和感でした。
彫刻のような建築が多いというのは、
パネルや模型を見ていたから気付いていたところなのですが、
プレゼンで、その彫刻を削り出すためには実は数々のルール、
法則、方程式のようなものがあって、
それが○○で、□□となって、・・・。
そうした話を聞かされると、
どうも僕には納得しにくい建築になってくるのです。

太陽の動きを考えて、
開口部を○○して、内部の環境をよくするのだ、とか、
そういった「程度」なら理解できるものの、
どうもあれこれと、
人間の感覚とは関係のないようなところから法則が出てくると、
それは建築家の自己満足でしかないのではないか思うのです。
なんだかよく分からない形に、
例えなんかごちゃごちゃと法則があったとしても、
それが良い物になるかといえば、そうとは言えないはずです。
それが、形態を導きだす為だけのものならば、特にです。
大切なものを蔑ろにしています。
それか、それが分からないが故に隠すための法則です。

僕は、建築に対して深い思想や、
方法論を持っている訳ではありません。
よい建築とはこうあるべきだ、といった尺度も、
強く持っている訳ではありません。
ただ、自分がいいと思うものをいいと言える、
そうした自分を持つ心掛けはしているつもりです。

(そんな訳で、これは「よくない」と思うのです。
ひどい言い方ですが、建築家のオナニープレイ建築です。
英語にしてMasturbation Architectureです。
こう言うとしっくりきます。はたまた建築宗教建築ですかね。
ある(自分でつくりあげた)宗教ガイドにのっとって、
造った建築は絶対的である、と。神の目目線です。
オウム真理教が理解されないように、
一般的にそれが理解できるものではないのです。)

ある晩、FAKEのフィルというアメリカ人と話す機会がありました。
KAZさんがアメリカモードに入り、
本場仕込みの英語建築トークが炸裂すると、
(僕にも分かるところは分かります。)フィルが、
似たような違和感を持っているということが分かりました。

FAKEに入って2年間、
アメリカで勉強してきたものとは全く違う経験だそうです。
「建築とはこうもシンプルにできるものだったのか。
・・・でも、そのシンプルというのが実は、
ほんとに難しくてなかなか出てこない。」
(ここでいうシンプルは、
いわゆる日本でつかうシンプルと同じではない気がしますが、)
ほんとにそういうことなんだと思います。

その後、1/250の全体模型の前で、
ハーバードの学長と建築の学科長が、
(僕には遠すぎてどうでもいいような人)何やら2人で話していました。

僕には何も面白いものではありませんでした。
というのも、「あの形がカッコイイ。」だとか、
「この2つは、敷地が入れ替わった方が絶対カッコイイ。」だとか、
終始形態の話をしていたからです。

そもそも1/250の模型を前に、
よくもあんなに話ができるものだと思います。
あれは外観しか分からない、むしろただの置物に近い。
なるほど形態だけの話をしているのなら事足りるということです。
僕には、ああも並ばれると“建築的な”
変わったテーマパークにしか見えないのですが。

ちょっと馬鹿にし過ぎでしょうか。
ただ、あの方々はすごい人達なんです。
それはどうやら事実です。
行くところまで行くと、
建築を考えるとはこんなことになってしまうのだろうか。
ならないと思いますが、ちょっとした危惧です。
僕にはどうにも納得できないところでした。
ちょっとまだうまく説明ができていません。すいません。


草原に佇む藤本

草原へ

藤本さんのプレゼンを聞いたあと、いざ草原ツアーへ。
8人乗りバンに乗り込むと、
バンはひたすらに何もない荒野を走り続ける。
辿り着いたのは何もない場所。
来れるところまで来た、
その時は、最後に行き着く場所といった感じでした。

その後、本格的なパオに泊まるために一悶着。
乗馬のためにまた一悶着。
芋蔓式にお金を巻き上げられました。
 
草原の日没

夕暮れ時は圧巻でした。
遠く西の地平線に、太陽が沈み始めたころ、
荒野を西から強風が駆けた。
西の地平線は黄色く砂塵が舞い、強烈な影を物体に刻み、
立体感を際立たせていた光は、神秘的に霞んでいく。
頭上には灰色の雲が立ち込め、稲妻が走る。
後ろを振り返ると、その雲から、
灰色の柱が大地に向かって伸びていく。
滝のように雨が降っているのだと分かる。
その脇には虹が出ていた。
遠く東の空はさらに暗く。
いくつもの稲妻が、大地に向ってその矢先を突き立てている。
薄暗く霞懸った草原は、さらに距離感を失くし、
無限の広がりを持っている。

僕は原初のどこかに立っている気持ちになった。
生まれたてのこの場所は、まだ名も輪郭も持たず。
動き出した空は、その表情を定めることを知らず。
大地にはまだ、何ら存在というものが生まれていない。
ただ大地と空があり、その間を太陽が照らしていて、
それらはまだ勝手に動いていて、互いの距離感を知らない。
そこに1人意識ある自分が立っている。
この明快な世界が、ただそれだけでいることが、
想像を遥かに超えて壮大であった。

(シンプル)な場所は、
(シンプル)であるがために個々がよく見えてくる。
あれだけの表情を持った空も、
太陽も、ただの草原も、はじめて見るものでした。

日が沈むと、強風と共に分厚い雲は東へと流れていて、
遠く東の空にはまだ、音もなく閃光が瞬いていました。
にもかかわらず、頭上の空は静かなものです。
ゆっくりと流れるいくつかの雲の奥に、
幾千、幾億という星を称えていました。
草原に座り込み見上げていると、雲が手前なのか、
星が手前にあるのか分からなくなるような、
そんな錯覚を起こしました。

原初のこの場所は、宇宙により近いのだろうと思いました。

17歳のお手伝いの少年

泊まったパオ村に、
1人片言ですが英語を喋れる少年がいました。
夜中、といっても10時くらいでしょうか、
1人で夜空を見ていると、
その少年が手持無沙汰に近づいて来て、
しゃべりかけてきました。
なんでも、僕ら以外に泊まりに来ている中国人の団体が、
まだ大パオでパーティーをしていて、
彼は、その団体が、自分たちの泊まるパオに戻るときに、
懐中電灯を使って道案内をするのが仕事だから、
残ってないといけないのだとか。
感心です。純粋な子です。
それで、待っている間、少しの2人で話をしました。

彼は、オルドスの高校に通う学生で、
夏休みの間こちらにある実家の手伝いに帰ってきているそうです。
気になった話が、四川省での地震のときの話で、
僕としては中国の対応はどうも鈍かったね、
と言いたかったのですが、
僕が「そういえば、四川省の地震は大変だったね。」と、
その話題をふったとたん、
「いや、でも中国政府の対応がとても素晴らしくて、
被害は小さくてすんだんだ。」と、
すごい自信を持って言いきられました。
僕は恐怖さえ感じました。
この無垢な子が。
結局その後、何も言えませんでした。

中国の教育はある意味完璧です。




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